命は灯火
吐き出せる場所がなくて、吐き出したいのでここに書いてみる。
死期を近くに感じるとはこのことだと思う。
つい最近まで世間話ができていた。
「昔はああだったのよ」なんてたくさん話してくれたんだ。
歩み寄って抱きしめてくれることもできた。感覚を忘れないようにって。
つい数ヶ月前の話のこと。
でももうできなくなってしまった。
90歳にもなって頭がはっきりしている自慢のおばあちゃんなんだ。
優しくて、他人のため、社会のために役立つことをいつも考えていて、本当に尊敬しているおばあちゃんなんだ。
でももうしゃべることもなくなってしまった。
物を飲み込むのさえ、最近は辛そうだ。
歩くのも一苦労で、すぐ横になってしまう。
まだ僕のこと覚えててくれるかな。
見たらわかってくれるかな。
社会人2人目になってそれなりに稼げるようになったよ。
独り立ちしたんだよ。
でも独り立ちできたのもおばあちゃんのおかげなんだ。
大学の費用払ってくれたのは結局おばあちゃんだったね。
おかげで好きなことを学べて、入りたい会社に入れたよ。
稼いだお金で何か奢ってあげようと思ってた。
でも、もう飲み込むのも辛いからそれじゃ恩返しにならないね。
遅すぎたね、残念。
だから少しでも一緒に入れる時間を作るようにするよ。
仕事しているよりも、友達と過ごすよりも、本当はおばあちゃんのために時間を使ってあげたいんだ。それが僕にとって一番価値がある時間だと思うから。
おばあちゃんに育ててもらった恩返しがしたいんだ。
日曜日、家族で温泉に行った時、一緒に手を繋いで歩いたね。
ゆっくりしか歩けなくても、見た目はヨボヨボになっても、おばあちゃんの手はしっかりとしてあったかかったね。
吹いたら消えてしまいそうな見た目でも、しっかり命が燃えているって感じたんだ。
おばあちゃんの幸せは何かな。
もう答えてくれるほど喋ってはくれないけど、そのお手伝いができるならなんでもするよ。幸せな色のまま命の火を燃やしてて欲しいから。
それが今一番大切なことなんだ。
俺はおばあちゃんの孫として生きれてよかったよ。
おばあちゃんも同じように思っててくれたら嬉しいな。
また会いに行くから少しだけ待っててね。